無貨幣経済とは、お金を介さずに物流する経済です。
無貨幣経済圏は、色々な国や地域に既にいくつも存在しているのになぜ全世界に広がらないのでしょうか?
悪の支配層がお金で庶民を奴隷化したいからだ!
というのは今回は置いといて、縄文時代の原始共産主義から
平和なまま発展できなかった理由は何でしょうか?
人々は何を間違えたのか?何を失ってしまったのか?
思想という観点から考えてみたいと思います。
根本的な考え方が決め手
物々交換では、現代の貨幣経済とあまり変わらないと手前の記事で書きましたが、
縄文時代は、贈与型経済だったことが判っています。
物々交換でさえも無かったのです。
- 稼いだお金で何かを買う
- お金を沢山持っている人とあまり持っていない人がいる
- 生まれ育ちは人それぞれ違うもの
これは現代の常識ですが、貨幣が無い縄文時代の物流はどのように行われていたのか?
物の所有感が個々人に無く、全ては神からの授かり物という認識だったので
翡翠や矢じりや特産品を持って旅をして別の地域の人達に渡すのだそうです
便利な物や良い物はみんなで分かち合い、助け合うのが当たり前の世界
参考サイト→贈与経済の原動力:カミからの贈与
天地自然・大宇宙、神から与えられた環境は、全ての人に平等だという認識を
縄文時代の日本人は共有していたのです。
それは地位権力の格差も生みません。
よって争いも起きません。
自然崇拝の有神論の共有・思想宗教の統一
それが2万6千年も争いが無く平和な時代が続いた理由なのです。
異文化はいつから流入したのか?
ところが弥生時代に入り、誰の物でもないはずの土地を自分の物だと主張する人が現れ
この地の王だと名乗った。
稲作を始め土地と米を財産にしたとあります。
参考サイト→贈与経済の崩壊は「土地所有」から?
この事から、無神論者が格差社会を作ったのが判ります
選民意識と無神論
王とは何なのでしょうか?
他の人々と何が違うのか?
ただ、他の人々とは違う特権を主張したいだけの人
神に選ばれたと自称する個人や民族が、王を名乗る
王ではない自称王は、詐欺師・悪人です
神ではない自称神は、詐欺師・ちょっと霊術が使える悪人です
人とは違う特権を主張する為に自称しているのです
人々を操り搾取し奴隷化し、自分だけが利益を独占したいのです
縄文時代、王は必要ありませんでした
存在する物を得られない理由がなく、
人々が助け合って暮らしていたからです
時代劇で起きる問題が殆ど町内で解決するのを思い浮かべたら判りやすいです
人生相談となんでも屋をみんなでやって問題を小さな内に解決していたら、問題を解決する大義名分としての大権力は必要無くなります
選挙のたびに政党は公約を掲げていますが、世の中は良くなっていきません
そもそも問題を解決する気が無いから存在する問題なのです
無神論者の作る世界
世界各地の自称王は、大体が自称神の子孫です。
自分ルール・我が民族ルールを作り、人々を従わせる
そんな自称神の子孫が、無神論者の第一人者です
同じ穴の貉(むじな)作戦
無神論を感染させる為に、人々に選民意識を植えこみます
- 我々神の子孫と実は祖先が同じなのだ!
- 選ばれた民に選ばれた国、神の国なのだ!
(実は色々な国で同じことが流布されている
そうだ!そうだ!と同意すると、格差社会を受け入れてしまうという手筈です
また、準特権階級を目指す事を生きる目的にさせる事でピラミッド型の社会構造の構成要員にします
地位権力が王様程はありませんが、個々人が自分が世界の中心、エゴの王様になれます
そうされてしまっては、貨幣経済を止めたくなくなりますし、進んでピラミッド型社会構造を維持・発展させてくれるという訳です
お金があるから・・?
お金は人々を豊かにするためにあるのではなく、人々を奴隷化する為にあるのです
困っていて助けてもらいたい場合、お金を支払って物や事を買います
困っていてもお金が無ければ解決できません
例えお金持ちでも、お金が無くて困っている人を助ける人はあまり居ません
お金が存在しない社会では、“困っている人がいる=助ける”という活動自体が経済活動であり社会活動です
縄文時代は、完成された平和な社会自体が、自他の利益であり財産だったのです
自他世界に関する認識を正し、新・縄文時代を築きましょう!