この先の展開や起こる出来事は全くわからないがこの世界の終末は予想できるんだ
全宗教 全人種 全宇宙人 地底人
皆新神殿に集まり黙示録が成就する
そこで盛大な御祝いと共にマイケルジャクソンが流れるとゆう明確なビジョンが見える
僕はその総合演出を手掛けたい
その心が真実の神から遠く離れてますよ?
悪魔主義者も神崇拝者だと思い込む者も
世界の破滅を待ち望む。
親心があれば
世界の破滅も
我が子の破滅も待ち望むなんて
狂気のカルト以外には有り得ない。
洗脳の定義には
有りもしない空想妄想に気を向けさせて
本人に不利益な異常事態をインプットする。
世界の破滅を待ち望んでないですよ?
皆の平和を待ち望んでいるんですよ?
人種の壁や国境なんて関係ない
そんな世界を待ち望んでいます
黙示録は偽書説はご存知ですか?
あー
平和の祭典みたいなものを黙示録と呼んでいるだけですよ
聖書の終末予言を成就させるという訳ではないです
なんとも・・
言霊を重んじるならば
言葉の示す意味は何かを考えて欲しいです
黙示録は地上の破滅を完成しなければ、光の世界は来ない考え方。
キリスト教エッセネ派や
他の宗教の終末論を知らず知らずに取り入れた説もあります
オリジナル世界観なんだ!と言うならば黙師録、黙秘録など如何ですか?
うーむ
黙示録というと語弊があるのかぁ
黙秘録?どうゆう意味なんですか?
黙示録は正式に翻訳された名称です。
新約聖書の黙示録にある終末論を抜きにした平和な世界の到来を示すならば、
金鵄八阿多烏流「真説 黙示録」とか、一般のそれとは違う事を明記する。
「真説 万葉集・古事記」ならば普通の万葉集ではないですよとお断りになります。
文字を変えるとか工夫する
黙秘録とか目次録・黙視録など
文字を変えて、独自な世界観である事を暗示しておけば、
誤解なく、突っ込みもなく、
思う事を思い通り書いても
完全に個人の自由の範疇になります。
「青森のイエス物語」と書けば、
一般のクリスチャンからの抗議なく書けます。
独創的な主張を誤解や衝突なく自由に表現するには、これは私のオリジナルであると分かり易い工夫があれば良いと言う意味です。
明るい希望に満ちた黙秘録!
きなこもちさんって男性?
きなこもちさん的 黙秘録はどうですか?
人頭蛇身の宇賀神と弁財天と同体と見られますが宇賀神は六道(有我領域霊界)を意味します。
弁財天は河を越える
ロゴス言霊と美声と声聞乗を意味します。
旧約新約を徹底的に合理化して普遍的な要素だけを切り取る派もあります。
もはや真理のみにした感じですが限界があります。
根拠は後に続きます。
アルマゲドンをどう解釈するか?
駱駝が針の穴を通る譬えの如く全てを捨て去る事。
そう言った意味では
チベット密教のアルマゲドンは完成度が高く
新約のアルマゲドンは完成度が低いです。
理由は明解で
チベット密教のアルマゲドンは自分の中の一切の不浄を焼き滅ぼすアルマゲドン、自己との格闘最終決戦なので、その救いは自己のみの心にあります。
自分自身の心の世界にある全ての不浄を焼き滅ぼし完全に純粋な魂にする行法です。
しかし、キリスト教のアルマゲドンは外なる世界、この世の終わりと解釈されて、救いの為には救い主の再臨を待ち望む。即ち悪魔の完全支配を一時的にでも許し実現させなければならない。
即ち悪魔崇拝者もキリスト崇拝者も世界の大破滅を待ち望む。
これでは今の地球が白黒共に暗黒破壊の完成を集合意識として持ってしまう。
外道解釈する信仰だから、
内道解釈しない。
自分の外に神やキリストがいて自分以外の誰かにすがる事で自分が救われるという教え。
だから、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が信者の数と領土を奪います合う事になる。
外に形に善を置くのだから、
勢力を増やす野が布教活動。
算数の普及協会と
キリスト教の普及教会の違いは?
ただの算数が子供から大人に普及すれば良い普及協会。
固有名称と普及する組織の人数が拡大する事が善であり救いだとする勢力拡張のキリスト教会。
異教徒の思慮深く愛情深く慈善家の男と
キリスト教徒の殺人犯とどちらが罪深く、どちらが清く正しく天国に入れるか?
クリスチャンの答えはクリスチャンの殺人犯はキリストを受け入れたから罪は軽く天国に入れるが、
異教徒は善人でもキリストを信じ受け入れてないから地獄に落ちる。
救いの拡張は多民族や異教徒への殺戮戦争になる。
殺戮に拠らない場合は植民地化して支配し強引に異民族の文化風習異教を破壊し相手を愛して受け入れるのではなく強姦し征服する手法になる
フィリピンなどスペイン系クリスチャンにより混血された。
歴史を見れば明らかで現在進行形の世界の様相も然り
選ばれし民
選ばれし我
として他を蔑み踏みつけて征服する。
神から選ばれる構造
自分が神を選ぶ構造
自分が救うか殺すか選ぶ
この流血殺戮無理矢理に改宗させるか処刑する事が神とキリストの救いの善の実践だと思えるのは、神や救い主や善を形の世界、心の外の世界に置くから起きる逆さ眼鏡の世界観
こんなデタラメを神や救い主や善だと考えていれば、
善悪の戦いとは異教徒を呪い憎しみ滅ぼした世界観になるのは必然的結末となる。
こんな考え方だと
クリスチャン同士でも派閥が争うし、ヨーロッパなどお互いにクリスチャンでも殺戮し合う。
名前だけあって中味のない信仰。
我が我等が強い信仰
もしも、本当に神を求め救いを求めるならば、キリスト教の神やキリストという固有名称の拘りを捨て去り、
普遍的な差別化ない愛に目覚めなければならない。
「私に躓いてはならない!」
とはキリストに拘り躓いてはならない!という意味。
「主よ!と呼んでも私は貴方を知らないという、偽善者よ」
「主よ!と呼んでも私は貴方を知らないという、偽善者よ」
「何故ならば、貴方は苦しんでいる者を見ても助けず、不正を見ても戒めなかったからだ!」
「貴方自身の十字架を背負って生きなさい!」
という事で神やキリストの名前を呼んですがりついて他人や多民族や異教徒を差別し迫害するなんて論外
きなこもち流 真説キリスト教は
最終的には全ての拘り迷いを捨て去る事で何教という枠組みはなくなる。
その見地に立って考えたら
何教徒な何民族が教える算数も普遍的な原理で同じ。
何民族だろうが呼吸して生きているのは同じ
馬鹿な拘り差別、優越感を捨て去る。
馬鹿な傲慢、慢心を捨て去る。
それが完全な悪の全滅状態。
何もない純粋な意識、純粋な魂に内なるアルマゲドンによつて浄化され尽くしたら、
天の国が心の世界に実現する。
それを外の世界に実現しようとするから、悪魔の黙秘録になってしまう。
何ものも外に恐れてはならない!
あなたを害するものは全てあなたの内にある。
つまりアルマゲドンも外ではなく内にある
それを世の終わりと言う言葉に翻弄されて
内省的に裁きの前に生きている内に自分という十字架を背負って全き純粋な魂になるように無駄な迷いや罪穢れ拘り差別、優越感、私は神やキリストの僕などと思い上がりを捨て去る。
それが真の永遠の命の黙秘録です!
チベットの密教の考えなんですね
すみません チベットにも黙示録ってあるんですか?
チベット密教に黙秘録は有ります。には
普通の仏教にもあります。
ヒンドゥー教にも有ります。
世界の終わりと再生の物語はどこにでもあります。
クリスチャンとの違いは
1,地上天国の実現には世界中の暗黒破壊は必要ない
2,内なる世界の終わりのリアル体験こそ魂を神仏に近付ける修行
3,宇宙に光と闇の周期があるが努力次第で対応出来る
4,人間の想像を遥に越える宇宙時間で複数の宇宙の誕生と死の繰り返しが起きているがそれは海底の泡の如し
Twitter投稿日:2020年11月22日